小池百合子都知事の意外な実績?トルコ風呂がソープランドに変わった歴史

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小池百合子都知事の意外な実績。トルコ風呂がソープランドに変わった歴史

7月4日の都議会戦では小池百合子氏が率いる「都民ファーストの会」が圧倒的過半数を占め、小池氏の大躍進が確実になりました。
いまだに何億もの豊洲市場問題など抱えていますが、従来の自民党都連の古い体制を見限り、小池氏の「都民ファースト」が有権者の心をつかんだようです。
これから小池都知事の都政改革が注目されるところです。そんな小池都知事の隠れた実績としてトルコ風呂をソープランドに名称を改めた実績があります。そんな隠れた日本の歴史を追っていきたいと思います。

トルコ風呂の歴史

私がまだ、小学校から中学校ぐらいの頃、普通に普通に性風俗店としての「トルコ風呂」が通っていました。
トルコといえば性風俗、性風俗といえばトルコというイメージが一般的でしたが、それがある日、トルコ風呂という名称が禁止(?)になり、名前がソープランドになったことを漠然と記憶しています。

もともとトルコ風呂とは、中東地域で極一般的なハンマームと言われた公衆浴場のことでしたが、それが西欧にはいり少しエキゾチックなイメージに伝われたそうです。

日本では、「トルコ風呂」は1951年銀座にオープンした「東京温泉」に設けられたのが始まりとされ、許斐氏利が上海のトルコ風呂に着想を得て、東京に持ち込んだとされています。このときは、まだ性風俗店ではなく、男性客に対し女性が垢すりを行うだけのでサービスで、1966年にトルコ風呂が個室付き浴場(サウナ)として許可されました。

その後、トルコ風呂は、東京オリンピックや赤線の廃止とともに行き場を失い性風俗店と結びついて、性風俗店としての「トルコ風呂」に発展していったのです。

トルコの人から思えば、自分の国の名前が「性風俗店の通称」となっていれば、それはそれで大変、残念なことだと思います。
そのため、在日トルコ人の間では、自国の伝統文化が性風俗と結び付けられ抗議が行われてきました。

性風俗店の中には、「トルコ大使館」という名前の店も実際にあり、電話帳にも載っていたそうです。さすがにこれに対して、本物の『駐日本国トルコ共和国大使館』が抗議したこともあったそうです。

1984年一人のトルコ留学生ヌスレット・サンジャクリさんが名前を変える運動をおこしました。
再来日した1984年(昭和59年)8月に、当時の厚生大臣である渡部恒三に「トルコ風呂の名称変更」を直訴するなど、改名運動を行い、マスコミも大々的に取り上げられ、2か月後の10月には横浜市の特殊浴場協会がトルコ風呂の名前を使わないことを約束し、その後、全国に広がったのです。

その時、協力して支援したのが現都知事の小池百合子氏と言われています。

小池百合子都知事もともとはアラビア語の通訳

小池都知事の兵庫県芦屋市に生まれ地元の名門校、、甲南女子中学校・高等学校、関西学院大学社会学部に入学のち中退しています。
お父さんは、神戸市で貿易商を営んでおり、1969年に石原伸太郎「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて立候補しましたが、落選しています。
後年、豊洲問題で石原慎太郎氏と対立しますが、どこか因縁めいています。

父の会社の都合で、東京六本木に引っ越し、その後、「国際連合の公用語にアラビア語」が加わる」という新聞記事を目にした若き小池氏は、アラビア語通訳を目指すことになり、エジプトに留学しました。
エジ
プト時代は、カイロにレストランを経営しつつ、カイロ・アメリカン大学でアラビア語を納め、その後カイロ大学に移り卒業。
卒業後はアラビア語通訳としてPLOのアラファト議長やリビアのガダフィの会見では、コーディネーター兼インタビュアーを務めるなど活躍しています。

そのような経歴のため、後年、国会議員きっての親リビア派として知られ、日本リビア友好協会では会長に就任しています。
そのような経緯の中で、トルコ人留学生の「トルコ風呂名称変更」の運動に協力し、現在に至っています。

ソープランドの名前は一般公募で募集?!

それでは、トルコ風呂に代わる「ソープランド」という名所ですが、これはどのように決まったのでしょうか?

トルコ風呂に代わる名称をつけるため、東京都特殊浴場協会一般公募を開始。2400通の中から新しい名称である「ソープランド」を発表しました(1984年12月赤坂プリンス)
最も多かった名称は、「ロマン風呂」「浮世風呂」だったそうです。その他、「コルト」「ラブリーバス」「オアシス」「ロマンス風呂」「ラブユ」
などがありました。
なんとも、昭和チックな名称ですね。